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2005.07.16

現代ギター7月号「渡辺和彦の音楽問わず語り」には頷ける部分も多いけれど

音楽評論家・渡辺和彦氏による現代ギター誌連載コラムの今月号の内容は「熱狂の日---音楽祭が突きつけた音楽の100円ショップ」と題し、主にコンサートチケットの価格に関する話題。

途中CDの価格についても言及されている。「日本のCDは高すぎる」とフンガイしている公務員に対して「あなたの給料もね」と言い返したという。消費者の購買力を無視して絶対的な価格だけで「高い」「安い」を論じるのは意味がないということ。付け加えるならば、全体的な物価水準も考慮すべきだろう。僕は数年前、カナダにしばらく住んだことがあるけれど、生活費は大雑把に言って東京の約半分という感じだった。対してCDは(日本と違って値段にかなりバラツキがあるが平均的には)東京で買う輸入盤よりちょっと安い程度で、思ったほど安くないな、という印象。

「CDが1枚3000円もするなんて暴利を貪っている」という感情論も困りものだ。デタラメなコスト計算によって「暴利」と勘違いしているケースは論外だが、そもそも自由主義経済において利益追求を否定するのは間違っている。生活必需品じゃないんだから、高すぎると思うなら買わなければいい。安くした方が売り上げが伸びて儲かる、ということになれば自然に値段は下がるはず。再販制度はあるにしても、定価の設定はレコード会社の自由なのだから。

とはいえ、物事はそう単純ではないし、日本市場特有の問題点は認識しているつもりなので、細かいツッコミはご容赦願いたい。かいつまんで述べると、3000円のCDが高すぎるというより、ハンで押したように一律3000円前後(国内盤の場合)だったことが最大の問題なのだと思う。この点は現在ではいくぶん改善されており、たとえばジャズだったら実力派日本人ミュージシャンを多数擁するEWEレーベルは2000円台前半のラインナップがかなり豊富だ。インディーズ系も2500円前後の価格設定をするところが少なくない。「3000円」に文句をつけてきた人達は、こういったレーベルにこそ注目して欲しい。

本題のコンサートチケットの話に戻ると、渡辺さんも記事中で「音大を卒業したばかりの・・・(中略・すなわち若手演奏家)のリサイタル料金までがなぜ中堅クラスと同じ3000円前後に設定されるのだろう」と指摘し、若手に対して「1500円でチャレンジしてはどうか」と提案しておられる。一方で「コンサートの入場料金を下げれば客は増えるのか。話はそう簡単にはいかない」ということもあらかじめ言及しておられる。さらには「(値段を下げるためには)スポンサーを見つけなければならない」とも。ここまでまったく異論はない。

単純にチケットの値段を下げるとどうなるか。これも渡辺さんが書かれている通りで、売り上げが減るだけである。有名な演奏家、テレビで取り上げられた演奏家に対して喜んで高いチケット代を払う人は多いが、無名演奏家の経歴やコンサートプログラムを詳しくチェックして「これは"買い"だ」と思ってくれる人は極めて少ない。下手をするとナメられる。すなわち「安かろう悪かろう」と思われてしまう。

で、そうならないように、無名の実力者に対しても正当な評価を与えるのが音楽ジャーナリズムの一つの大きな役割でしょう。スポンサー獲得においても、有力者の推薦があるのとないのでは全然違うはず。渡辺さんが「これは」と思う奏者が実際に「1500円でチャレンジ」する気概を持っていたならば、「お墨付き」を与えて後押しして欲しいと思う。また、後押ししたくなるような若者をどんどん見出してクローズアップして欲しい。僕みたいな無名ライターが「この演奏家に注目しないなんてバッカじゃーねーの!?」と吼えたところで大して効果はないだろうけど、渡辺さんのような名のある方なら違う。ぜひ率先して行動していただきたいものだ。もちろん僕の気付かないところですでにやっておられるかもしれないし、そうであることを願う。

もちろんこれは渡辺さんに限った話ではなく、音楽ジャーナリズムに関わるすべての方々に対して言いたいことだ。「後押し」にもいろいろなやり方があるだろう。皆(プロアマ問わず)簡単にできることから始めればいいのではないか。このblogだって、ごく微力でもなにかのタシになれば、と思う次第。


蛇足ながら、渡辺さんのコラムの結びに「ついでに若い音楽評論家の卵よ。私のような既存のダメ評論家にひと泡吹かす意味で、価格破壊原稿料で業界に殴り込みをかけてはどうか。」とあるのはレトリックとしては面白いけど、失礼ながら業界の実情を無視しているように思う。無名ライター・評論家達は「価格破壊」などするまでもなく、すでに買い叩かれているのではないか。

それに、少なくとも僕には「ひと泡吹かそう」なんて類の対抗心はこれっぽっちもないからなあ。

「既存のダメ評論家」(渡辺さんはもちろん謙遜されているだけで該当しない)についてはせいぜい、いい文章が書けなくて落ち込んだときに「この人よりは多少まともなことが書けそうだからがんばろう」と元気を出させてもらう意味で意識する程度である。

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