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2005.07.11

村治奏一の新しい伝説は横浜から始まる、なんて言ったら少々大げさかもしれないけど

たまには数学の話でも。今日11日は前期月曜5限の選択科目「離散構造」の最終日。ずっと原書(英語の簡単な教科書)の輪読をやってきたのだが、先週で予定の範囲が終了したので最後は講義をやることに。

僕の専門に近い「グラフ理論」という分野なのだけど、初歩から始めて細かい定義などは適宜省略しながらケンペによる「4色定理の証明」までを一気にしゃべり倒す。

かなり無茶である。だが自慢じゃないけど東大と偏差値が大差ない我が大学の優秀な学生達はちゃんとついてきてくれるのである。ありがたいことだ。「うまく喋ろう」などとは考えずに、自分が面白いと感じることをただひたすら熱く語る。これが実に気持ちよい。僕はカラオケが苦手なのだけど、おそらくカラオケ好きな人が持ちネタを思う存分熱唱した後の爽快感にも勝ると思う。

ちなみに「4色問題」は1976年に解決されるまで有名な未解決問題の一つだった。ケンペによる「証明」は巧妙な「間違った証明」の例として知られており、「証明」が終わった後に「さてどこが間違っていたでしょう?すぐ答え言っちゃうとつまんないからしばらく考えてね、じゃあサヨナラ」と言って締めくくるのがいつものパターン。

というわけで気の毒な学生達は最後の最後でスッキリしない状況に放り出されるのだが、こちらはスッキリして一路横浜へ。神奈川県民ホールでクラシックギター界期待の星、村治奏一君のCD発売記念リサイタル。

開演時刻にすべりこみセーフ。意外と空席が多いのにまず驚く。先月18日にミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団と「アランフェス協奏曲」演奏してコンチェルト・デビュー、月末にはNHK「トップランナー」に出演。一気にスターへの階段を駆け上るのかと思いきや、そう簡単にいくものでもないらしい。

奏一君は姉の佳織さん同様、物心がつく前からギターに触れ、父・昇氏による早期教育(ただし"英才教育"とはちょっと違う。その辺は昇氏の著書参照)を受けている。指が速く動くのなんか当たり前。タンスマンの難所でもコロコロとなめらかに転がるがごとく音楽が流れていくのが心地よい。

今回個人的に特筆すべきと思ったのはデュージャン・ボグダノビッチの作品。4月に来日した、あのデュージャンである。新譜にも収録された「3つのアフリカン・スケッチズ」と「ジャズ・ソナチネ」が演奏されたが、いずれも非常にイキイキとした快演だった。デュージャン・ファンとしては独特の響きとリズムを持つ彼の作品に共感を持って演奏してくれる若いギタリストの登場はそれだけで嬉しい。

デュージャン作品には、近年人気のあるディアンス、ヨークらの作品のようなわかりやすい派手さはないが、それを補ってあまりある美しさと複雑な(ゆえに心地よい)グルーヴを内包している。ただし音符をただなぞっても全然「音楽」にならないと思う。他の現代作品を演奏するときとは違ったセンスが要求されるはず。デュージャン本人の演奏はもちろん見事だが、奏一君の演奏はこれまでに聴いた本人以外による演奏の中で出色のものだった。「ジャズ・ソナチネ」のラスト、バルトーク・ピチカートが太い音色でバシッと決まると「イエーィ!」と叫びたくなる気分。これを聴き逃した横浜のギターファンはもったいなかったね。

思えば3年ほど前、すでにCDデビューしてしばらく経った大萩康司君のリサイタルを同じ神奈川県民ホールで聴いたときも、空席が多くて驚いた。しかし演奏はやはり素晴らしかった。神奈川県民ホールは若手ギタリストにとって鬼門なのか?「横浜不入り名演伝説」誕生か!?

て縁起でもないですね。もちろんそんなのは一時的な現象でしょう。もしかすると東京・横浜で続けて公演する場合、横浜の方が手薄になる傾向があるのかも。今回は13日高松、14日徳島、16日大阪、24日広島と続いて最後が26日東京(三鷹)。お近くの方はぜひチェックを。

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